タイガーウッズのスイング

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

ようやくタイガーのスイングがよくなってきました。がむしゃらにスイングするのではなく、確実にボールをヒットする打ちかたができるようになってきました。ウエートが増えました。米国でもこの件に関しては、2ケ月ほど前から論評されています。現在は、80キロを越えて、以前より約8~9キロの増加です。この体重になると腕と腰を中心にしての無茶振りはほとんどできません。ジュニア時代の体をフルに回転させて打つ打ちかたでは、必要以上に腰に負担が多くなります。もっとも、昨年は、この体の転換期をほとんど無視して、クラブを振りまわしすぎ、年間、1勝しかできませんでした。そんな結果を踏まえた上でのスイング改良です。

タイガー・ウッズのスイング1

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

タイガー・ウッズのスイングが柔らかくなりました。ウエート移動を主体にしたスイングへ変化させたことに起因しています。バックスイングで、右足に、しっかりと体重を乗せて打つスタイルになりました。この打ちかたにすることによって、バックスイングで腕が背中の方向に上がる傾向が少なくなりました。以前は、上体のひねりに重きを置いたスイングで、左肩が120度近くもひねり入れられていました。


そのために、時として、背中の後ろの方に腕が回りこんで、結果的に、ダウンスイングで腕が振り遅れることがありました。しかし、うまく打てれば、ものすごい飛距離を生みました。ウエート移動主体の打ちかたにしたことによって、距離は落ちていますが、も安定性は増しまいた。現在のタイガー・ウッズのドライバーの距離は、前より40ヤードほど落ちています。


最近のトーナメント会場でのタイガー人気は、明らかに落ちています。ファンは、タイガーの効率的な安定性を求めているのかどうか。どちらかといえば、ジョン・デイリーの攻めるゴルフに圧倒的な歓声を上げる米国ファン。奇跡的なゴルフをサラリとやってのけるタイガーから、単なる米国のツアー・プロのひとりになりかけているのが、非常に気に懸かる。

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タイガー・ウッズの精神力

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

特に、今年のマスターズがメジャー大会の優勝を父に見せる最後のチャンスでした。それを分かっていながら優勝できず、さらには、復帰後の全米オープンでもなんと予選落ちとていたらくでした。。大きな悔いを残して望んだ今大会は、タイガー・ウッズにとっては、どうしても勝って父への恩返しを果たしたかったとても重要な試合でした。感極まった男泣きも納得できます。


しかし、強靭な精神力で勝ち続けるタイガー・ウッズが、今まで見せたこともないほど感情を表に出し男泣きしている姿を見て、こちらも思わずもらい泣きしてしまいました。あらためて親子の絆の強さを認識しました。そして、壁を乗り越えたタイガーの今後の活躍を確信を持って期待しています。

タイガー・ウッズ プロ初のメジャー予選落ち

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

超人的な強さを発揮するタイガーでも、父の死のショックには勝てませんでした。マスターズ以後、試合を全て欠場し、やっと姿を見せた全米オープンでは、プロ入り以来初のメジャー予選落ちとなりました。幼いころから父とともにゴルフの道を歩み、プロ入り後も、優勝を決めた18番グリーンの奥には、しばしば父の姿がありました。スウィング改造による不調に陥ったときも、その悩みを打ち明け、「自分を信じろ」とアドバイスしてくれたのは父でした。その父親の死をタイガーは乗り越えることができるのか。プロゴルファーとしてのキャリアにおいても、人生においても、タイガーは大きなターニングポイントを迎えていたと思います。

全英オープン最終日、2日目からトップのタイガー・ウッズが、終始安定したゴルフで通算18アンダーで、2年連続3度目の優勝を飾りました。18番グリーンで最後のパットを決めた瞬間、この試合への思いが爆発したのか、雄叫びを上げ、その後は人目もはばからず男泣きでした。父アールが他界後、初の優勝であり、しかもメージャータイトルであったことが、タイガーの気持ちをさらに特別なものにしたようです。

タイガー・ウッズと父親2

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

5月3日朝、タイガー・ウッズの父、アール・ウッズ氏がカリフォルニア州サイプレスの自宅で他界しました。74歳でした。1996年に心臓のバイパス手術を受けてから、1998年には前立腺癌が発覚、治療して完治した思われましたが、2004年に再発しました。タイガー・ウッズはホームページで「父は親友でありお手本とする人物でもあったので、とても胸を痛めています。父が成し遂げた素晴らしい様々なことを思うだけで、僕はとても打ちのめされた気分になります。素晴らしい父親であっただけではなく、素晴らしいコーチであり、助言者であり、友人でした。父なしでは僕の成功はなかったでしょう」とコメントしました。


序盤戦で早々に2勝を挙げたとはいえ、06年シーズン前半はタイガー・ウッズにとって苦しい日々でした。最愛の父アールが全身を癌でおかされ、余命がいくらもないことを承知の上で臨んだマスターズでした。「メジャーで優勝する姿を、もう1度、父に見せてあげたい」との想いでしたが、そんなタイガーの想いは叶わず、結果は3位タイでした。生前の最後の贈り物と決めていたメジャー勝利を渡すことができないうちにアールが逝去してしまったことで、タイガーは胸を痛めました。

タイガー・ウッズと父親1

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

メンタル面でタイガー・ウッズに勝る選手はそういるものではありません。しかし、そういうタイガーにもスランプはあります。パットが入らないときだってあります。そんな時、彼はどうやってスランプから脱出するのでしょうか。タイガー・ウッズのパターの先生は父でした。タイガー・ウッズにとってのパターの先生は父親だけです、とタイガーは何度も話しています。そして、パットが入らなくなった時、タイガーはいつも父が言っていたことを思い出したそうです。それは、スポットに向かってパットするということです。

これはグレッグ・ノーマンも言っていたことがありますが、パターではストレートパットを除けばどのパットもカーブを描いてカップに向かうラインになります。そのカーブの頂点をスポットとして選んだらそのポイントに向かってパットするというものです。

中嶋常幸  プロゴルファー

タイガー・ウッズの強さとゴルフ会員権

中嶋 常幸(なかじま つねゆき, 1954年10月20日 - )は、群馬県出身のプロゴルファーである。ライバルの青木功、尾崎将司とともに日本男子プロゴルフ界を代表する名選手で、3人の姓を合わせて「AON時代」を築いた。身長180cm、体重80kg。以前は「中島常幸」と表記していた。

海外では「つねゆき」という名前が発音しづらいことから“トミー”と呼ばれ、海外参戦時の登録名は「トミー・ナカジマ」“Tommy
Nakajima”という。これまでに日本ゴルフツアーで「47勝」を挙げている。1982年、1983年、1985年、1986年の4度、日本ツアー賞金王(年間賞金ランキング1位)になった。
10歳からゴルフを始める。樹徳高等学校を中退し、1975年12月にプロ入り。1976年に「ゴルフダイジェスト」大会で日本ツアー初優勝を飾る。

1985年のシーズンは年間6勝を挙げ、最も好調だった。日本オープン選手権初優勝や、日本人選手初のダンロップ・フェニックス選手権優勝などがある。当時は「最も美しいスイングの持ち主」と、米国のプロゴルファーからの評価も高かったが、その後、スイング改造などで悩み、低迷した時期もあった。

世界4大メジャー大会の成績は、1984年のマスターズ8位、1988年の全米プロゴルフ選手権3位などがある。セント・アンドリュース(R&Aゴルフクラブの「オールド・コース」)で行われた全英オープンで、中嶋が最終日に17番ホール(パー4)の第2打を有名な「ロード・バンカー」(Road Bunker)に入れてしまい、9打を要して優勝のチャンスを逃したのは1978年のことである。そのため、このバンカーは中嶋の愛称“トミー”をとって「トミーズ・バンカー」とも呼ばれるようになった。同オープンでは1986年にも8位がある。最初期の世界ゴルフランキングで4位にランクされたこともあった。

2005年11月6日、日本シニアオープンでシニアツアー初優勝を飾り、これですでにタイトルを獲得している日本アマ・日本オープンとともにJGA選手権競技3冠を達成した。